鳥山明先生は救えたのか
2024.04.21ブログ
私含めた幼少時代に大きな影響を与えたドラゴンボールの作者、鳥山明先生が先月亡くなったのは皆様ご存知だと思います。
死因は「急性硬膜下血腫」との報道ですが、
いろいろな病気を改善させてきた私が、その病気を治せたのか、と聞かれれば、答えは「ノー」です。
なぜなら、半年前に亡くなった実父も同じ病名で亡くなったからです。
私の父は、転倒し、後頭部を打って救急搬送され、
頭部CTを撮った結果、「いつ亡くなってもおかしく無い」と言われました。
その晩、私は姉と病室で父と最後の夜を過ごしました。
こんな状況下でも、私は「急性硬膜下血腫を治療してみたい」欲が湧いてしまいました。
転倒してから4時間経過した頃です。
治療している様子を、姉が写真で撮りました。
もう意識は無かった状態でしたが、
頭を持ち上げた瞬間、
「ううっ」と痛そうに反応したので、そっと下ろしました。
後頭部を打つと良く無い理由はいくつもありますが、
後頭部が「生命の呼吸」との関連が強い為、そこに強い衝撃が加わると、致命的になります。
頭蓋骨の評価法でどうなってるか診てみたところ、
すでに生命の呼吸は弱まり、確かに「もう手遅れ」状態でした。
なので、鳥山明先生を救う事は難しいと思います。
話は変わりますが、
末期がんの患者さんが無くなる直前まで当院に訪れる理由は、「体調が良くなる」からです。
つまり、「良い状態で死ねる」という結末になります。
なので亡くなっても、その後ご遺族がお菓子を持って感謝の言葉と共に訪れます。
私は父との最後の時間が「どうやったら良い状態で逝けるか」考えながら過ごしました。
それは「手を握りながら今までの思い出を話しかけ、感謝の思いを伝える事」だと感じました。
眠ったまま意識が無い父の顔を見て、父のこれまでの人生に敬意を伝え、1人の人生が終わりを告げる瞬間を見届けました。
私は父がいなかったら今の自分は無いと感じてます。
なぜなら進学塾を24教室も持っていた経営者だった父から「経営者としての哲学」を学べたからです。
それは「真っ直ぐの道を行く事」
「口で治さない事」、「ちゃんとやる事」です。
最後の「ちゃんとやる」という事が1番難しく、
今でも道から外れそうな時が多いです。
しかし、そんな父から受けた教育があるから、
その3つの柱が構築されていると思います。
忙しい日々を過ごしているからこそ父の事を思い出し、悲しむ時間が少なくて済みます。
私はそんな経営者の父の下で育って幸せです。