第8話 NHK生放送
2022.10.07ブログ
2004年、1月、いよいよ生放送当日を迎えました。
私は高校を適当な理由で早退し、撮影先である香林坊に向かいました。
私は1番右に映っています。
私はもともと初心者に毛が生えたレベルの「7級の青帯」をつけて稽古をしていましたが、
国本師範から、「テレビに出るのに青帯では格好にならん、せめて緑帯や」と言われ、
誰かの緑帯を借りて出演しましたが、
「せっかくなら黒帯付けてカッコよく映りたい!」と思ってましたが、放送を見てみると、
緑帯で良かったと思いました。
ではどうぞ↓↓
どうでしたか!?
いかつい人達と一緒に選手会稽古をしていた、これらの話が本当だったでしょう!!
見ていただいた通り、私のへなちょこな組手の最後、足掛け蹴りで尻もちをついて終わりだったのですが、
あまりに藤田先輩のパンチ蹴りが手加減しているにもかかわらず、攻撃を食らっている時、心の中は「痛い!痛い!痛い!」
相変わらず気が飛びそうでその約束を忘れてました。
空手を始めて一年半の高校生の身体に、パンチ蹴りをくらう、やっぱり痛い。
私の左側にいた同じ緑帯の「若林さん」は、この2ヶ月後に、きつすぎて空手自体を退会します。
その後も、何人も入門しては辞めていく繰り返しです。
本当に続けるのが厳しい競技で、残るのは1割というのが、後々になって良くわかりました。
今18年前の私を振り返って見てみると、まだ弱いのに目ヂカラだけはギラついているのが、
「こんな感じだったのかー」という感覚です。
つづく