親の気持ちを想像すると・・
2024.09.27ブログ
たくさんの方からプレゼントをいただきました、
感謝申し上げます。
今日で39歳という事で、
39年前の今日の午後2時くらいに生まれたそうですが、
この生まれた瞬間の事を考えると、
私の両親ってどんな事を思っていたのかなぁ〜と想像してしまいました。
父も母も死んでしまいましたが、
亡くなる前の事を思い出してしまいました。
4年前、母はもう手遅れという事で、
在宅医療に切り替え自宅で亡くなる3日前の事
目を瞑ったままほとんど反応が無く寝たままの母の横に座り、こう語りかけました。
「おかーん 俺、おかんの子供に生まれて本当に良かったわ、ありがとう。」
と言うと、この数日間反応が無かった母が、
コクッ
と小さく頷きました。
続けて私は、
「おかん、おかんが元気になったら、
マンちゃん(父)とみんなで暮らす事に決めたから」
と言うと、
動けるはずの無い母は、
うっすら目を開けながら、
ゆっくりゆっくり左手を持ち上げて、まるで
「ありがとう、たのむ」
と言わんばかりの安堵のある表情でした。
母は、家事が何もできない父を残して死ぬ事を
心配していたのを知っていたので、
その事を察して母を安心させたくてそう伝えました。
この3日後に亡くなりましたが、感謝の言葉を伝えられて本当に良かったと思ってます。
父は去年亡くなってしまいましたが、
父は人工透析をやっていた事から、心臓を悪くして、徐々に機能が落ちて病院に運ばれましたが、
もう手術をしても予後は30%.と診断されました。
手術をするべきか迷いましたが、
可能性があるならという事で、手術を選択しました。
手術する1週間前、入院している父からこんなLINEが送られてきました。
父から
「おはようございます。(これから、私が思っていることを忘れないようにメールを送り、記録に残します。迷惑でしょうけど。)
啓士へ、いろいろ、ありがとう。
啓士が生まれた時、私は万歳を何度も発しました。ついこの間のようです。久美子お母さんは、ベッドで「ありがとう」を連発していました。
島野家の唯一の男の子の誕生で、家族、親戚、みんな喜びあいました。
それが、こんなに立派に、成長しました。そして、商売も見事に成功しました。
人に喜ばれる仕事に就き、成功し、また、とても親孝行な、人格を備えて、私は父として、これ以上の幸せは、ありません。
啓士が世に現れてからの島野家は、全てに恵まれてきました。私も充実した父親人生を送れてきました。
しかも、青年以降の啓士は、人格も備わり、何の不安材料もないほど、模範青年に育ってきました。感謝感謝です。
この手紙を書きながら、胸、目頭が熱くなります。学業は、まあ、普通でしたが、社会勉強は、人の二倍三倍頑張りましたね。
印象的なことは、東京のアパートで、寝ながら語り合った長時間の親子の会話、今でも鮮明に覚えています。
そして就職、独立、と見事に花を開かせました。父として、この上ない誇りです。
娘たちも、それぞれ、素敵な旦那さん、子宝に恵まれ、幸せな人生を歩み、私も、久美ちゃんも何も言う事は、ありません。父親冥利に尽きます。女の子も、幸せ街道を進んでいます。そしていい娘たちばかりです。
久美子お母さんに良い報告ばかりできます。啓士ありがとう。娘たちありがとう。朦朧とボケる前に一筆書きました。手術が近くなるにつれて、また、書くかも知れませんが、よろしく。」
このメッセージが来た1週間後に手術をしましたが、
やはり予後が悪く、長時間の全身麻酔の負担もも大きく、一気に認知症も進みました。
数ヶ月後に段差につまずいて死んでしまいましたが、
このメッセージは、大切に残してあります。
母は無くなる一年前、姉に言っていた事を聞いたのですが、
「啓士が整体師で上手くいってるのに、
私がこんな病気になって申し訳無い」
と漏らしていたそうです。
母が私を想う気持ちを想像すると、
逆に申し訳無いなと思う一方で、
家族の治療をして感じる事は、
血筋上、距離が近い分、家族の治療って本当にうまく行かないのです。
やってみて痛感しました。
という事で、
先ほど両親の仏壇に手を合わせて、
「おとん、おかん、私は楽しく暮らせてます。
産んでくれてありがとう」
と、伝えました。
という誕生日でございました。
おしまい。