WBCで思い出すのが父の言葉


2023.03.22ブログ

野球ね、世界一すごいですよね〜

ちょいと私も小学生時代は学童野球をやってまして、
小学校5年の秋から始めて、飲み込みも早いことから、
6年生の時はピッチャーで4番バッターを打ってました。

※野球で4番目を打つバッターということは、1番良いバッターです。

その当時の監督も卒団式で、
「私が今まで子供を指導して20年ですが、ここまで飲み込みが早く成長した選手はいませんでした」

これを聞いたうちの父は、
「あれ、うちの息子プロに行けんじゃね?」
と思い、私を中学校の野球部に入れずに、
クラブチーム(硬式野球)に入れました。

しかし、そこに入ってきたメンバーは、当然チームのピッチャーで4番バッターの選手ばかりでした。

しかも私と違い、小学校低学年から始めてる連中ばかりなので、それはそれは野球センスの塊みたいなのがゴロゴロいました。

私はその中に埋もれてしまいました。

そのクラブチームに入って一年たった頃、
私の現状を見た私の父は、
「いいか、野球ばかりやっていたら、バカになる。甲子園に行ってもプロにならんかったら何にもならんぞ」

と言われました。
その頃、チームの親睦会がルネス金沢の宴会場であった際、
選手一人一人が将来の目標を言う場面で、
みんなは口を揃えて、
「甲子園に行きたい」、「プロ野球選手になりたい」
と言う中、私は「塾の先生になりたい」と言いました。

そんなモチベーションでは続くはずもなく、
クラブチームには一年で辞めて中学校の野球部に入部しました。

あの時、私よりも遥かに野球が上手かったクラブチームの連中は、私から見たら絶対にプロになるだろうな、と思ってたんです。

しかし、その5年後、みんなそれぞれの志望した高校に行き、一年生からレギュラーを取るも、結局甲子園に行けたのは13人中たったの2人でした。
それもその2人が甲子園に出たはいいが、木更津総合高校に負けて一回戦敗退。

もちろんプロ野球に行った人も0人です。

結論、何を思ったかと言うと2つあって、
①WBCに選ばれたメンバーって、本当に想像がつかないくらいすごい連中である事。

②そして早い段階で自分の才能を見極め、
野球を真剣に取り組む事を諦められた事。
これは「逃げ」ではなく「戦略的撤退」であった事が、今につながっていると思います。
好きな事ばかりやっていても才能が無いと花が開かない厳しい現実にいち早く気づけた事。

あの時、あのまま野球を続けていたらと思うと、
おそらく今の人生は歩めてなかったのかなと思います。
父の言葉はさすが経営者だなと思えました。

ちなみに学童野球時代の写真がこちら

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